只野教授の生活

只野教授

第五章:家庭という名の秘境と、二度と会えない風景

1. 玄関の「貼紙」法則

只野教授の自宅は、大学から電車で三十分、さらにバスと徒歩で十分という、典型的な郊外の古い一軒家である。

大学の雑然とした研究室とは裏腹に、リビングは整理整頓されている……ように見えるが、よく見ると「只野流」の秩序がある。例えば、新聞は読む順序ではなく「色」で分類されている。

ある日曜日。只野教授は、いつものように研究服(よれよれのポロシャツにカーディガン)に着替え、リビングのソファに深く沈み込んでいた。彼の両手には、近所のスーパーの古いレシートが握られている。

「このレシート、妙だな……」

只野教授はブツブツ呟く。 「平成十七年四月、キャベツが九十八円。しかし、隣の薬局のチラシでは、キャベツは百五十八円だ。この八十円の価格差の裏には、一体どんな『流通の哲学』が隠されているのか……」

そこへ、妻の**只野雅美(ただの・まさみ)**が入ってきた。彼女は大学の同級生で、現在は小学校で図書司書として働いている。彼女は夫の奇行には慣れっこだ。

「あなた、レシートと会話するのはやめてくれる? 今日は燃えないゴミの日よ」 「雅美、これはゴミではない。『時代の断片』だ。キャベツの価格変動は、人々の購買心理と社会の景況感を示す、優れた指標だと思わないか?」 「はいはい。それより、玄関の『貼紙』よ。また増えてるわよ」

只野教授の玄関には、彼がフィールドワークで採取してきた、街の貼り紙やポスターの残骸が貼られている。まるで「路上観察の博物館」だ。

「あれは、私にとっての『季節の指標』だよ。去年の夏に剥がした『熱中症注意』の貼紙の焼け跡が、今年の夏の『マスク着用奨励』の貼紙でどう隠されるか。その貼り方の『美学』を研究しているんだ」 「美学じゃなくて、単なる迷惑よ。ご近所から浮いてるわよ、只野先生」

雅美はそう言って笑った。彼女は、教授のアナログで非効率な生活を唯一、完全に受け入れている存在だった。只野教授の研究室が「樹海」なら、家庭は彼が息を吸える「オアシス」である。

2. 消えた「かくれんぼの木」

午後。只野教授は、家の裏にある倉庫の鍵を開けた。 そこは、彼の研究の「原点」が眠る場所だ。

中には、教授が幼少期から集めてきたガラクタが所狭しと並んでいた。壊れたプラモデル、昔の切符、ビー玉、そして大量の石ころ。その中で、教授が一番大切にしているのが、古びた地図と、一つの小さな木片だった。

地図は、彼が子供の頃に住んでいた団地の周辺を手書きで描いたものだ。 「かくれんぼの木」と書かれた印があった。

只野教授の専門である路上観察学は、この体験から生まれている。 小学生の頃、団地の広場にあった大きな木が、ある日突然、切り倒されてしまった。それは彼と友人の最高の「かくれんぼの隠れ場所」だった。

「あの木が消えたとき、私は世界から大切なものが永遠に失われたような気がした。誰も記録しないまま、歴史から消えていく風景やモノがあることを知った」

教授は、その木の幹の一部だったという木片を手に取った。 「だから、私は記録するんだ。誰にも注目されない、ちっぽけで無意味に見えるものを、大真面目に記録し、意味を持たせる。そうしないと、また何かが、誰にも知られずに消えてしまうから」

3. 父の「非効率」な記録

夕食時。只野教授の娘で、現在大学院生として遠方に住む**千尋(ちひろ)**から、テレビ電話がかかってきた。

「父さん、今度学会発表のポスター作りなんだけど、どうやったら効率よく、目立つものが作れるかな?」

千尋の問いかけに、只野教授は少し考え込んだ。

「効率か。確かに、効率は大事だ。だがな、千尋。父さんは、君が小さい頃から撮り続けた『記録』のファイルを持っている。あれは全然効率的じゃない。日付もバラバラ、テーマもない」

雅美が笑いながら解説する。 「あなたのパパはね、ビデオカメラであなたを撮るとき、肝心な顔は撮らずに、ずっとあなたの足元とか、着ていた服の襟ぐりとか、なぜかテレビのテロップだけを撮り続ける変な人だったのよ」

只野教授は弁解した。 「それが重要なんだ! みんなが撮る『笑顔』なんて、いつでも撮れる。だが、その時に君が履いていた靴の、泥のつき方。それが、その日の『楽しさの深度』を表しているんだ!」

千尋は画面の向こうで笑った。

「そっか。効率じゃなくて、『深度』ね。じゃあ、ポスターも、誰もやらないような細かいところを、異常な熱量で深掘りしてみるよ」 「うむ。それでいい」

只野教授は満足げに頷いた。 彼の研究も、彼の家族との関わり方も、すべてが「非効率」で「無駄」に見える。しかし、その「無駄」な記録の蓄積こそが、只野仁という男の人生の最も深い部分を形作っていた。

レシートの価格差に悩み、マンホールに歴史を見、そして子供の靴の泥のつき方に愛情を見出す。それが、只野教授の休日の「真実の記録」だった。

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