只野教授 論文抜粋

只野教授

1. ビニール傘の置き忘れと喪失の美学

序論:路上に放置された透明な『容器』への問い

現代都市における路上観察学の対象は多岐にわたるが、中でも「ビニール傘」の存在は、その透明性と圧倒的な増殖率から、特異な考察を必要とする。

特に雨天時、駅前や商業施設の傘立て、あるいは単なる路上の片隅に放置されたビニール傘(以下、置き傘と呼ぶ)は、多くの場合、無機質な「ゴミ」として、人々の視線から無意識的に排除される。しかし、本稿が提起したいのは、「置き傘」が単なる廃棄物ではなく、「喪失された記憶と期待の容器」としての美学を内包しているのではないか、という問いである。

置き傘は、持ち主の「一時的な忘却」と「後で回収する」という淡い期待、そして「もう一本買えばいい」という現代社会の飽和した消費観念が、透明な膜を通して交差する現象の具現化である。それは、個人の経済的な合理性と、感情的な非合理性(「愛着のなさ」)を同時に表現している。

本稿では、この置き傘の「無責任な透明性」が、いかに都市景観における感情的な「余白」を生み出しているかを分析する。具体的には、置き傘の発生地点と気温・降雨量の統計的分析に加え、傘立て周辺に掲示された注意書き(「ご自由にお使いください」「盗難注意」など)の書体の持つ『湿度』を定性的に評価する。この『湿度』こそが、その場所の人間関係の「信頼度」を可視化する指標であると定義する。

最終的に、置き傘の連鎖的な発生と消滅のサイクルを観察することで、都市におけるモノと記憶の「喪失」が、いかに次の「生成」を促すかを論じ、ビニール傘の放置に潜む、現代人特有の「静かな諦念(ていねん)の美」を追求する。

2. 電柱の配線におけるカオス理論と都市の有機性

序論:人工物の無秩序な成長が示す生命の痕跡

都市構造を解析する工学的アプローチにおいて、電柱の配線は通常、「インフラの整備状況」や「電力効率」といった視点からのみ評価される。しかし、本稿が主張するのは、電柱の配線、特に古くから無計画に増設・修理されてきた集合配線こそが、都市という生命体の「無意識の神経網」として最も顕著な存在であるということだ。

一本の電柱に集約された無数の電線や光ファイバーは、当初の設計図を完全に無視し、需要に応じて即興的に、そして非効率的に追加されてきた。これらの配線は互いに絡み合い、垂れ下がり、時には植物の蔦のように電柱を覆い尽くす。

この現象は、数学的な「カオス理論」における自己組織化の様相を呈している。すなわち、個々の配線工事(ミクロな行為)には合理性があっても、全体(マクロな景観)としては予測不可能な無秩序なパターンを生み出している。

本研究は、この電柱配線の複雑な絡み合いを、定量的カオス指標(リアプノフ指数など)を援用しつつ、写真やスケッチによる定性的観察を組み合わせて分析する。具体的には、「配線の絡み具合」と、その電柱周辺にある「落書きや貼り紙の密度」との間に、何らかの有機的な相関関係が存在するのではないかという仮説を検証する。

結論として、この無秩序で非効率な配線こそが、都市が単なる人工物ではなく、意思を持った生命体のように「成長し、呼吸し、衰退する」という哲学的な真実を、最も雄弁に語る視覚的な証拠であると位置づける。

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